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沿革

創業者と会社設立まで 1921年(大正10年)~1955年(昭和30年)

1906年(明治39年) 創業者 矢野口由孝 長野県穂高町に誕生
1921年(大正10年) 創業者 矢野口由孝は、15歳で上京し内山自動車商会に入職した。
創業者は、自動車がまだ珍しい時代にあって、将来大きく飛躍する産業になることを夢見ていた。
1933年(昭和8年) 27歳の時、株式会社金剛自動車商会(後の金剛自動車株式会社)の取締役工場長に迎えられた。
1952年(昭和27年) 運輸省認定一種重整備工場の認定を得て、矢野口自動車工業株式会社を東京都品川区南大井に創業した。
当時はまだ限られたお客様からの車両整備が主で、一般のお客様からの依頼は少なかった。
矢野口自工株式会社 旧社屋

昭和50年11月3日

自動車の黎明期から発展期まで 1955年(昭和30年) ~1985年(昭和60年)

1955年(昭和30年) 昭和30年に入り高速道路やガソリンスタンド等のインフラが整い、日本の自動車産業の幕開けを迎える。同時に、整備工場への需要が高まってきた。
1959年(昭和34年) 現在の「矢野口自工」に社名変更。資本金2,500万円
矢野口自工株式会社
1969年(昭和44年) 東京陸運局長指定工場(いわゆる民間車検場)となり、業務を拡大する第一歩となった。
1976年(昭和51年)
世田谷展示場
世田谷展示場
東京都世田谷区に展示場を開設し、車両販売部の発足
1982年(昭和57年) 吸引車を活用した工事請負部門として、プラント部の発足。
この頃より、今日の特装自動車への需要増加を先取りし、吸引車の販売、整備に特化しはじめる。
1985年(昭和60年) 現在の代表 矢野口智一は、父守男の急逝に伴い、23歳で三代目代表となり今日に至る。

バブル崩壊期から今日まで 1989年(平成元年)~

1989年(平成元年) バブル経済の崩壊後、大きく景気が低迷する中にあっても、古くからのお客様のご支援により着実に業績を伸ばしてきた。
1990年(平成2年) 本社、整備工場を現在の大田区城南島に移転。吸引車を主体としたレンタル部の発足。
2005年(平成17年) 資本金3,900万円となる。
2008年(平成20年)
、グリーンカットマシン”アライグマ”
グリーンカットマシン
”アライグマ”の誕生
ドイツ・LADOG社からベース車両として第一号車を輸入し、架装するアタッチメントを兼松エンジニアリング株式会社に依頼し、グリーンカットマシン”アライグマ”が誕生した。
2010年(平成22年) グリーンカット・マシンの第二号車を製作した。
2011年(平成23年) 東日本大震災が起きる。
2012年(平成24年)
ドイツ・Nothhelfer社 道路除染車
Nothhelfer社からの
輸入第一号車
本社の隣接地と建物を購入し、全部門を本社に集結しワンフロアー化を図る。
大田区京浜島に新たな車庫を開設。
ドイツ・Nothhelfer社から道路除染車として第一号車を輸入した。
2013年(平成25年) 福島・浜通り地区でLADOG車とNothhelfer車を用いた道路除染工事に本格参入。
兼松エンジニアリング株式会社より200台納車記念表彰を受章
2013年12月 兼松エンジニアリング株式会社(本社)
2013年12月 兼松エンジニアリング株式会社(本社)
ドイツ・Nothhelfer社 道路除染車
LADOG社からの
輸入第一号車
2014年(平成26年) 福島・浜通り事務所(楢葉町)を開設
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